カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

詰め込まない生き方と自分を許す生き方

日本で働いていたときもカンボジアに移住してからも「やらなければならない」という義務意識が先行していた。(それ自体が悪いこととは思わない)

しかし、私は能力が伴わなかったと思う。

あれもやらねば、これもやらねばと思いすぎて、心身ともに悲鳴を上げた。

しかし、そもそも不器用でどんくさかったのにしょうもないプライドだけやたらと高かった。

ここ2ー3年(正確にいつからという線引きはない)で生き方を考え直すようになった。

いろいろ取り組んではいるが正解はないと思う。

やりたいことを詰め込み過ぎるとゴールがぼやける。

あれもこれも気になって結局、手つかずになる。

だから、取捨選択をする。

引き算を意識するようにした。

優先順位づけだ。

今思えば、日本時代にあこがれた上司がいた。

優先順位づけがうまく、仲間を巻き込むことが上手だった。

本人もなんでもできるようなスーパーレディに見えたのを覚えている。

しかし、取捨選択が上手であり、月の目標も2つか3つだけであったが、きっちり達成し、年を重ねるごとにその方のお店は輝いていっていた。

かっこいいなと思うと同時に嫉妬していた。

しかし、人間には分があると思う。

全員が同じことをしなくていい。

自分の役割を明確にし、しっかりこなしていく。

できるか、できないか。

やるか、やらないか。

失敗してもいい。

今、できないならできるように練習すればいい。

必要ないと思えば、それは捨てればいい。

全部しなくていい。

また、自分を許すことも大事だと思う。

甘やかすということではない。

失敗したとき、できなかったとき、思うようにいかなかったとき、

怒ってしまったり、感情が抑えきれなくなることが度々あった。(今もある)

無理に抑え込もうとするからだろう。

火山に蓋をするようなものだ。(例えが適切がどうかは知らん)

こういうエネルギーは放出する必要がある。

器が壊れる前に。

自分を許せなかった自分は常にピンと糸を張り詰めた状態だった。

火山の蓋を必死に抑えていた。

張り詰めた糸はぷつんと切れる、

抑えた火山はエネルギーが抑えきれずに爆発してコントロールが効かなくなる。

糸を緩めすぎるのはどうかと思うが、8分くらいでいい。

それくらいであれば、冷静でいられる。

間違いも認められる。

いいパフォーマンスも発揮できる。

火山に蓋をしなければエネルギーは常に放出されるので、多少爆発してもすぐに収まるし、大爆発に至らない。

人間やから、怒る感情があって当たり前である。

怒ってもいい。

そのあと、自分を見つめなおして、迷惑かけたなら素直(でなくてもいいけど)にごめんなさいを言えればいい。

心身が悲鳴を上げてからでは遅いのだ。

そうなってはちょっとした迷惑とはくらべものにならない迷惑を仲間、家族、関わる全ての人にかけることになる。

インドの人は自分も迷惑かけるのだから、他人から迷惑かけられても許してあげなさい。という教えがあるという。

私はこの考えかたが好きだ。

今だに自分も相手も許せなくなるときはあるが、ましにはなっている。と思う。

3歩進んで2歩下がるのだ。

1歩は進む。

それでいい。

今日も感謝。