カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

子どものころのいやな記憶。人間不信の原点のような気もする。

子どものころのいやな記憶がある。

いじめだ。

小学校5,6年の時、クラスというか、多分学年でいじめがあった。

ターゲットになってたのは2,3人だったと思う。

子どものころから人付き合いがうまくなかったので自分もいじめられていたかもしれないし、大阪独特のいじる(他人をネタにして、笑を起こすお笑いの技術だが、素人はこれをいじめといじるの境界線がなく、非常に危険だと思っている)

ということを私もされていた。

ただ、私の場合はいじるの延長戦だったと思う。

普段、普通に遊んでたし。

しかし、完全に無視をする。

口をきくなという空気が流れるいじめが自分でない、2-3人が陥っていた。

自分はなにもできず、よくそのことの重大さを理解しておらず、ただ、悪いことだと知りながら、ただ同じように無視をしたりしていた。

主犯でないとかそういうことではない。

当時はそうするしかなかったといえばそうだが、許されることではない。

これがあったからかは定かではないが、私は人と付き合うことが徐々にしんどくなった。

正直、私の幼馴染も微妙な立ち位置にいた。

担任の先生からどう映っていたのかわからないが、お前が仲良くしたってくれと言われた記憶がある。

当時、私は人付き合いには興味がなく、剣道にしか興味がなかったので、クラブのために学校に通ってるようなものだった。

ただ、どこかのグループに属するとか、そういうことはしなくなった。

強いていうなら剣道部に属していたくらいだ。

多分、私自身もはみっていたが、家が商売していたこともあって外面はよかったので、その面で担任の先生がそう言うてきたのだろう。

私は幼馴染を嫌う理由もとくにないので普通に接するが、私は剣道に忙しかったので、普段づきあいは特になかった。

自分が臆病で何も言えない人間だったことは確かだ。

今もたいして変わらない。

答えなんか持ってない。

自分がこれに少なからず、加担してしまったことも止めなかったことも助けなかったことも自分が一生背負うわたしの業であろう。(字が正しいのかどうかはわからない)

時間は巻き戻しはできない。

私は今、たんぱくな性格だと思う。

来るもの拒まず、去る者追わず。

あまり他人に興味もなく。

自分の仕事と家族と自分と共に働いてくれる仲間のことで手も頭もいっぱいである。

自分にできることなど、たかが知れている。

チームの中を見ても、家庭内でも感情的に根拠のないことで問題が起きることがある。

事実を見て、事実に即して、判断できるようにしていくこと。

誰かが言ったからそれを真に受けず、事実を見ること。

それくらいしか阿呆の私には思いつかない。

過去には戻れない。

今、日々、学び、歩いていく。

今日も感謝。