カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長の日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

他人は変わらない。 信用してないとかそういうことではない。妻や家族へのアプローチ。

他人は変わらない。

家族も他人の一種だ。

自分以外は他人だと思う。

距離感や血縁とかの問題ではなく、自分かそれ以外かということ。

ていうか家族の方が、距離が近いために聞けなかったりする。

家族以外の場合は聞いてるふりして聞いてないだと思うが。

妻との喧嘩の原因の多くは妻がなんか困ってることがあり、解決策を考え、投資し、やってみてというも結局、やらない。

自分の友人から得た知識や、情報から得た薬、病院を試したがる。

要は私を信用していないのだな。

と思っていたのだが、そうではない。

自分の最近の理解では人に言われて素直に実践できる人は全体のごくわずかで、そういう人は俗にいう、成功できる人、仕事のできる人ではないかと思う。

自分で勉強して少しずつ理解を深めて、だんだんと行動できるようになる。

私は個人的に本を読んだり、自分で調べたり、疑問に思ったり、少なからず、学ぶことを意識して人生を歩んできたが、大半の人はそうではないと気づいたのは最近である。

妻もしかり。

別にそれが悪いということではない。

そんなことしなくても私より優れている人は山のようにいる。

ていうか私は自分のどんくささ故に、学ぶ必要性があったというのが本音だ。

妻もそのたぐいのように思う。

だから、物事を見るときに表面的なところを見る癖がある。

そして、これまでの慣習や習慣。

私も持っていた、食事はたくさんとる方がいい。

とか、太ってる方がいいとか。

カンボジアは貧困国なので、痩せてる=貧困。不健康。というイメージがあるように感じる。

だから太っていることがよしとされる。

またトレーニングの経験がないことも理由かもしれない。

積み重ねること、やってみて、検証して、改善して、再度やってみる(いわゆるPDCA)とかの経験がないからかもしれない。

ようは経験値が足りないと表面の部分しか見れないし、意識できないのであろうと考える。

だから、いくら夫の私は実践していても何が私の身体に起こっているのかが、理解できない。 だから、習慣の見直しをし、体調改善に取り組んでいる私の取り組みは彼女には不可解に見える。

だから急に痩せた私を心配してしまい、余計に私のいうことを聞けないのではないかと思う。

実際、私は体調改善してから防ぎようのない感染症を除いて、風邪らしい風邪をしていない。

普通に疲れやストレスからくる体調不良や身体の痛みは当然でる。

あくまで、私も自分の身体で実験しているようなものである。

しかし、意識から変えようと思うと少しの積み重ね、学びと行動の積み重ねで少しずつ、理解を深めることしかないのだろうと思う。

また私のアプローチがへたくそなんだろうと思う。

また私に関する信頼とかもあるのだろうと思う。

だから他人を変えようと思ってはいけない。

支配しようとしてはいけない。

言うことは聞いてくれないものである。

家族というのは難しいものである。

現状では妻に対しては都度、妻からの要請があったときに対応するようにしている。

心の安定が一番かと感じるからだ。

あまり、踏み込むと聞いてくれないというジレンマから喧嘩に発展することは理解した。

この辺のアプローチの方法は今後の人生のために学ぶ必要があるなと感じる。

今日も感謝。