カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

どこの国もそれなりにいいところと問題点はあると思う。

どこの国もそれなりにいいところや問題点はあると思う今日このごろ。

ドイツからプノンペンに帰ってきたドイツ人のお客さんがドイツの空港がくそやったって言うてた。

検疫のことかなーとか思ったけど、仕事中やから特に深く聞きはしなかったけど。

みんなアメリカの賃金の高さとか物価の高さ、成功企業のすごさを話すけど、アメリカを含め、医療制度の整ってない国家の医療費はとんでもないことになる。

そして、物価が高いということは格差も広がるということになる。

優雅な暮らしをしてる人の裏にはしんどい思いをしてる人が必ずいる。

全ては陰と陽であると思っている。

別に良い悪いの話しではない。

アメリカにはチャンスはたくさんあるんだろうけど、その分リスクも同じだけある。

カンボジアだってそうである。

日本のような医療保険制度(ないことはないけどあんまり機能してない)もなければ、生活保護や年金制度もない。

いろいろ、外国から中毒性のある飲み物やスナック菓子のおかげで糖尿病も急増しているし、近い将来、認知症も表に出てくると容易に予想できる。

障がい者の受け皿も整ってない。

私が体調管理に気を遣っているのはこうした背景がある。

簡単には病院には行けない。

自分の身と家族の身は自分で守る必要がある。

もちろん、お金持ちは困らない。

こういう構造があるから富裕層と貧困層が逆転することはかなり難しいというかほぼムリゲーである。

だから私は日本はとてもやさしい国だと思う。

だが、行政サービスの手厚さに国民が甘えているというかそれが普通になってしまったようにはたから見てて感じる。

というより人間というのはそういうものであると思う。

駐在とかで来て、日本の給与でカンボジアで暮らすと日本と比べてかなりぜいたくな暮らしになる。

移動は運転手付きの車があったり、タクシーも安い。

お手伝いさんやベビーシッターも高くない。

医療費は保険で賄える。

学費は、、、高い。。。

しかし、日本人学校であれば日本の給料もらっていれば問題ないはずだ。

みんな外国人扱いしてくれる。

しかし、その裏で最低賃金は$200以下であったりする。

ちなみにうちの平均給与はその倍の$400ほどである。

しかし、一般の多くのカンボジア人の方はその日本人が行くようなお店には入れないし、その学校にも行けない。

日々、ごはん食べていくので精一杯である。

ときどき、最低賃金に毛の生えたレベルの給与しか支給していないのに、給与日の翌日にはお金がないっていうのよ。 とか言う人がいるが当たり前である。

家賃や水道光熱費、携帯電話料金とかでも毎月$100くらいかかる。

残りで日々の食費である。

貯金なんかできないのである。

なにが言いたいのかわかんなくなってきたけど、

全部を完璧にするというのは物理的に無理がある。

政治的な問題もあるだろう。

敗戦国と戦勝国も一つだろう。

隣の芝生は青く見える。

よそのお弁当はおいしそうに見える。

でもうちのごはんも十分においしい。

今朝も買いたけど、変われるのは自分だけ。

どうしたらよくなるのかを考えたり。

また、足りないところを探すより、当たり前を見直すことも大事だなと思う。

よーわからんくなってきた。

今日も感謝。