カンボジアのお盆のプチュンベンを妻の実家で過ごす。
毎年の恒例行事。
今年も平穏無事にプチュンベンを迎えられたことに感謝だ。
カンボジアの2大行事であり、大型連休がこのプチュンベンと4月のクメール正月だ。
大陸の仏教にちなむので、中国、東南アジアの仏教メインの国はだいたい似たりよったりだ。
もう一つ水祭りという収穫祭的な意味合いの大きい行事がある。雨期の終わりと乾季の始まりくらいの11月にあるのだが、仏事としては上記の2大行事よりは小さいと思われる。
プチュンバンとクメール正月はかなりの人が帰省するので、プノンペンの小規模なお店はだいたい3-5日間ほど、閉める。
うちは4日間。
多分、無理して開ければ儲かることは間違いないんだけども、やりたくない。
私個人としてはこういう休む言い訳がつくときに休んで、現場のみんなに家族との時間を地元で過ごしてほしいと思う。
大手で働く子はその覚悟があって働いてるんだろうと思う。
私の仕事はそこで休んでもきちんと利益の出る体質にすることだと思っている。
カンボジアではプノンペンに都市機能が完全に集約し、発展してきたが、その分、地方はめちゃくちゃ遅れている。
今朝、妻の実家近くの市場で買ったバイセッチュルー(豚肉乗せごはん)とか、定番の朝食もプノンペンの6割くらいの値段だったし。
だから、お金稼ぐためにみんな首都のプノンペンに出稼ぎに来る。
バスで2-3時間ならまだいいが、半日以上かかるところから出てきてる子もいる。
違う日に入れ替わりで休暇を取ってもらうというのがホテルや大手の形だが、そういうのはそういうところに任せる。
私も妻がカンボジア人なので、どうしても感情移入してしまう。
この日に休むことが重要なのだ。
日本みたいに大型連休は遊ぶためであればそれでもいいが、きちんと仏事がある。
また、家族に対する想いも強い。
親族で集まり、交流を深める時間を持ってほしいのもある。
なにより、カンボジアの方々の心根の優しさはカンボジアでの仏教に由来していると思う。
もちろん、内戦の影響によるところも大きいとは思うが。
仏教が道徳観念の学びのかなりを閉めていると思う。
ご家族もそれをもとに教育されていると思う。
私にしても完全に仕事から離れる時間ができて、落ち着く時間が持てる。
実際、妻の実家はプノンペンから1時間以上車で走って着く。
何もない。
昔ながらの高床式の家が年々、補強はされているが、娯楽なんかはない。
だからいい。
今、ごはんが食べれること、雨風しのげる家屋があること、シャワーもある(温水とかはないよ)、寝床もある、家族、親族も平穏無事に食っていけてる。
十分、幸せである。
とりあえず、今日がプチュンベンの最終日。
さきほど、プノンペンに帰ってきた。
明日からまた仕事である。
毎年、心配ごとはちゃんと仕事に出てきてくれるんかなー。ということだ。
今日も感謝。