大げさなタイトルだが、よく話題になる。
個人的にはスポーツがどうこうというよりなにごとも取り組み方次第ではないかと考える。
ここで、剣道が他と違うところはポイントの判定が素人目にはわかりづらい、または理解できない部分があるということではないか。
素人でなくても高段者の先生でないとわかんない部分もあるし、言語化できる人というのは以外と少ないのではないだろうか。
なぜなら伝統の技は多くが見て学べ、師から技を盗め、で伝わってきているからである。
先日、私はクラブの友人の地元の6段の先生と稽古とお話しをさせていただく機会をいただき、自分の中で得心を得たように思うのでここに記す。
別にこれが正解ではなく、現時点での私の見解ということです。
まず、打突部位に当たるだけでは一本にならない。
攻めができていない。
体(態勢、姿勢)が崩れている。
打つべき機会ではない。
などなど、1本になるかどうかの基準でよく言われるのがこのへんであろう。
私が思う、基本は剣道の元は剣術であり、剣による斬りあいであり、命のやりとりである。
そして、剣が必要なのは自衛、自分たち(主君、国、家族など、自分の関わる人たち)の命、生活、安寧を守るためが主だった理由であろうと思う。 それが危ぶまれる、もしくは欲にかられるから他国を攻めようとなるのではないか。
それをベースに考えるとまず、戦いに出て、第一は相手に勝つというのは必須であり、負けは許されないのではないか。
そこで、勝負の場面でギャンブルは許されないのである。
だから自分勝手に適当に打って、たまたま当たったような技は一本と判定されない(可能性が高い)。
捨て身というのはやれることをやった上で確率を5分5分以上に持っていった上でのことではないだろうか。
だから攻め、打つ前の崩しが重要になるし、根拠が求められる。
この辺を昇段審査(5段以上)では見られているのではないかと想像する。
ようは理合いに則った攻撃になっているか。
経営では準備、計画の段階で7割決まる。
というが、剣道でもどの世界でもこの考えは変わらないと思う。
相手に切りかかる前に相手に勝っているという状況をいかに作るか。
1本を偶然でなく、必然にする。
打つべくして打つ。
勝つべくして勝つ。
このための攻めである。
だから素人目には高校生の剣道が一番、見てて楽しいし、おもしろい。
しかし、全日本もそうだが、8段戦などは素人目には眠たいものだろう。
やってることが分からないのだから。
私レベルではそれを何を意図するのかを考えるのに必死でとても楽しめない。(だからといって理解できるレベルでもない(笑))
こういうことを考えて剣道をしていると生涯、剣道に打ち込むことはとても有意義だなと思えてくるのである。
いろんなものに通じるなーと思う。
いろいろここまで、長文を書いたが、あくまで、私の現段階の個人的見解であり、教わったとかではないので、あしからず。
今日も感謝。