カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

カンボジア人と日本人の結婚の相談

別に相談を受け付けているわけではない。

が、うちがカンボジア人と日本人のカップルなので、時々、結婚を考えられているカップルが相談に来られることがある。

今回も相談の依頼がきた。

カンボジアと日本の婚姻はちょっとややこしい。

日本やったら市役所に婚姻届け出して受理されたら終わり。

特にややこしいことはない。

しかし、カンボジアは違う。

まず、日本という国はみなが思ってるより自由だ。

宗教も自由、個別ケースのいじめや差別は確かにあるが、他の国と比べて、露骨な差別とかもない。

やろうと思えば割と何でも許される国と認識している。

カンボジアではそんなことはない。

婚姻の場合、日本では個人―個人だ。

カンボジアでは家―家だ。

これは昔ながらの考えだ。

私個人的には結婚という制度はそこが一つの目的であるため、自然なことだと思う。

自分一人で生きてるわけではないからだ。

もちろん、それが弊害になる人がいるので、例外もあると思うが。

また政府としても過去に人身売買の温床となった歴史もあるので、外国人との婚姻には慎重だ。

VISAの申請もしかり。

まず、外国人側は年齢制限があったり、収入制限があったり、犯罪歴を調査されたりもする。

役場でカップルでの面談もある。

また、入籍をしていないと結婚式とは認められないので式はできない。 別のパーティを装って式をしたり、袖の下、お金でなんとかするパターンもあったりするが。

しかし、すべての種類をまとめるのに1年くらいは覚悟したい。

また$2000-$3000くらいの出費は覚悟した方がいい。

結婚式も婚約式もお金がかかる。

結婚式もそのカンボジア人側の家の事情で、結婚式の場所や日数も変わってくる。

ちなみにうちは2日間。

個人的には2度とやりたくない(笑)

それくらい大変。

私は男性だったからまだいい。(カンボジアは家庭行事の場合、男性より女性の業務の割合が圧倒的に多い)

女性が日本人の場合は本当にきついと思う。

また結婚してからは宗教や家族観に関する意識のずれが必ず発生する。

金銭感覚も違う。

教育に関する考えも違うし、そもそも知識が足りてないパターンが多い。

理由はカンボジアの言語での文献が圧倒的に少ないので、本を読む習慣が一般の人にはないので、情報源はお坊さん、祈祷師さん、ネットやFBとなる。あとは噂話。

信憑性のない情報を信じているパターンが多い。

これは我々日本人が恵まれているということであり、先人の努力に感謝してもしきれないところである。

なにはともあれ、考え出すと結婚なんかできないので、勢いは大事なんだけど、自分が譲れないポイントとか、仮に日本に帰ることになって、日本に連れて帰るとなったらどうなるのか想定しているか。

ちなみに私が知ってるケースで日本に行ってうまくできてるケースは本当にレアケースだ。

とりあえず、一つだけ言えることは水商売の女性のセールストークを信じるのはおすすめしない。その甘言はセールストークだと自覚すべきだ。

そんな人が大半だからだ。

モテた気になっている人は確かにいる。

知識不足と想像力不足、読解力不足はセットだと思う。

知識がないから想像ができない。 こちらの言うてることの意図を理解できていない。など。

馬鹿にしているわけではない。

あくまで、我々、日本人が恵まれた教育環境で育ってきたおかげというわけで、立場が逆であれば当然、逆になる。

だから、カンボジア人のパートナーが簡単に大丈夫、できるよ、とか言うてる場合は信じてはいけない。

こちらで客観的に分析し、想像し、可能かどうかの判断をする。 また子どもができた場合にどうするのかも考えておきたい。

当然、その人による部分はあるので、あくまで、一般的なカンボジア人の方がパートナーになる場合だ。

知らないものを想像することなど、基本的にはできないのだ。

だから、失敗してもいいから挑戦して、経験する。本を読んで学ぶ。ということが重要なのである。

とにもかくにも、安易に考えずに責任をとるという覚悟を持って結婚に至ってほしいなと願う今日このごろである。

今日も感謝。

 

今日の稽古

今日は日曜日の稽古。

稽古の振り返り。

前回の稽古内容を振り返り意識して行った。

特に、

後ろに下がらない。

左右、斜めに攻める。

小手の誘いは2-3cm横にしながら攻める。

力まない。

打ち切る。

打ち切るという部分はできてきた。

しかし、意識しすぎの部分がある。

打ち終わりが長い。

本当の意味での残心を意識する。

打ったあともどうだという意識を持ちつつ、打ち切る。しかし、油断はしない。

打てる隙あらばまた打ち込む。

打ち切る。

凡事徹底。

あと、Hくんから勤め先で剣道のデモンストレーションをしたいと申し出があった。

先生とも話した。

私はつい安請け合いしがちだが、思うところがある。

彼がそう思ってるということではなく、周りがどうとらえるかということ。

剣道は見世物ではないし、ショーでもプロスポーツでもない。

礼儀を重んじるものだ。

ちょっと軽いのりでうちでもやってよとかなるのはちょっと違うと思う。

H君は学校にクラブ活動として、もしくは体育の授業として、取り入れて、剣道人口を増やしたい。また剣道により、精神修養を目的にしたい、文化の学びなどの理由だ。

これをしっかりきちんと伝えられるかによる。

また、クラブを作るにしても誰が教えるのか。

PPKCの人間が継続して教えるというのは無理があるし、ちょっと違うと思う。

継続は難しいだろう。

今でも週1回稽古に来るので精一杯の人ばかりである。

彼自身が指導者となり、彼がそのために稽古をがんばる。

そして、ときどき、その生徒をPPKCに出稽古として連れてくるが一番いい方法のように思う。

明日、彼にそのことをメッセージしようと思う。

今日も感謝。

昨夜の剣道の稽古の振り返り

できるだけ木曜日の夜は剣道の稽古に行くようにしている。

それができるのも優秀なスタッフのみんなのおかげである。

感謝しかない。

ところで、教えてもらったことをすぐ忘れる教えがいの男なので、このままではいけないので稽古後に忘備録としてこのブログに記すようにする。

①打ち切るということ。

学生のような残心の表現方法から大人の残心に切り替える。

余力を残さない打ち。 遠くに抜ける余裕がないくらい。

切るという意味だろうか。

自分なりに試していきながら、体得に向けてこれからの稽古に励みたい。

②小手の誘い方。

小手を誘うときも面と同じく1歩出る。

1cm、2cmでいいので、ちょっと左に竹刀を押す。(多分、中心を取りにいくような感じだろうか)

本当にすこしだけ。

③トンボの動き

後ろに下がらない。(特に目上の方との稽古の場合)

学生でもないし、試合ありきでもないので、小さくならない。

トンボは後ろに下がらず、右斜め前や左斜め前に移動しながら少しずつ詰めて行くのでそういう動きのことを指す。

④引き面

左に行くときは左こぶしで相手の右こぶしを押す。

そのまま、右に担ぐ。

そこから面を打ち抜く。

逆も然り。

引き小手

少し、右に相手の竹刀を倒す。

相手の竹刀が反動で戻ってきたところを小手を打ち抜く。

⑤構えについて

お尻をきゅっと上げる。

これは高校で先輩にならった構えと同じである。

前かがみになりすぎないこと。

これで楽に構えることができるようにする。

⑥どたばたと走らない。移動時も基本すり足。

⑦礼の時も剣道型の時と同じく、相手の呼吸に合わせる。

慌てる必要はない。

私が記憶しているものはこれくらいである。

日曜日までに頭に入れなおしておきたい。

稽古をご一緒くださるみなさまには本当に感謝である。

今日も感謝。

 

 

新メニューのテスト。 多国籍な場所でのレシピの作り方。

割と、長いこと、やろうかなーと思ってのを、やろうと思ってる。

レモンクリームチキン。

英語で言うとCreamy Lemon Chicken.

でもカンボジアはライムが主流なので、レモンの代わりにライム。

味見は自分だけでしない。

必ず、現場の子らと、うちの妻と試食を重ねて、カンボジアの人にも受け入れてもらえる味によせる。

そして私の判断でヨーロッパ系の人でもアジア系の人dでもカンボジアの人でも大丈夫な無難な落としどころを探る。

今回のテーマは酸味だ。

何度かテストして、今回もライムの量をちょっと減らして、味見。

ちょっと酸っぱすぎるかも、とおいしい、が半々。

感触はいい感じ。

もう少し、ライムの量を減らしてもいいかなというところ。

このへんの判断はg単位だ。

おいしく食べてもらえたらうれしいなと思う。

今日も感謝。

カンボジアにおいての呪いや宗教の考え。妻と私。外国人との価値観のずれ。

当たり前だけど、私はカンボジアでは外国人なので、非常識なのは私のほうである。

それが前提条件にある。

カンボジアでは敬虔な仏教徒の方。信心深い方が多い。

私の妻も妻の家族もそうだ。

それにより、夫婦間で摩擦が生じるのは私たちだけではないはずだ。

まぁ、承知の上で結婚しているので、摩擦といっても死活問題ではない。

しかし、ナーバスになることももちろんあるし、心配になることもある。

タイトルにも書いたが呪いのこと。

妻の友人(割と裕福な人)が過去に離婚した元夫や嫉妬されてる方からの呪いで体調不良を起こしていて悩んでいるという。

私たちからすれば、根本的理由は普段の生活習慣や食習慣。考え方に起因するストレス(偏見持ちの人をカンボジアではよく見るので)だろうなと思う。

特に勉強不足、知識不足による習慣のために病気になるケースは多い。

糖質やお酒。 外食過多など。

運動習慣などもだ。

私も実際、でたらめな食習慣や生活習慣で体調崩したり、精神面がかなり不安定だった。

現在は改善した(まだ道の途中ではあるが)から言える部分がある。

しかし、仏教含め、宗教に信心深い人ほど、その呪いなどの話しをうのみにする傾向があるように感じている。

だから視野が狭くなり、本質を見落としている気がする。

またそれにより、さらに心にストレスを抱えるので、その不安や恐怖の思い込みはさらに、脳に悪影響を及ぼし、結果、実際の健康にも影響を及ぼすのではないかと推察している。

このへんが妄信すること、思考停止になることの怖さではないかと思う。

また裕福な人はお金で解決してこれた人の場合はそこの努力を怠るパターンが多いのでないかと推測している。

ちなみに関係ないが、うちの妻もお坊さん一人当たり、1000リエル(日本円で30円くらい)のお布施を毎日、10名くらいにはしている。

月計算では結構な額になることをご理解いただきたい。

なにせ、カンボジアではお坊さんが托鉢で歩き回ってる人がめちゃめちゃ多い。

自分の家でもないのに買い出し中でもカフェでまったりしているときでもお坊さんを呼び止めてお布施をしている。

止はしないが、半分にしてほしいなといつも思う。

以前にその話しをしたが、聞いてくれていないので、なにか彼女の中で失礼とかそういう観点があるのだろう。

呪いの話しも今朝も真剣に話してくれた。

日本にはないけど、カンボジアにはあるのよと。

確かに呪い自体は実在するのだろうと思う。

長年言い伝えられているものには何かしらの意味があるはずだ。

というのは私の認識である。

しかし、それを理由に自分の身体、習慣を見落としてるとしたら危ないなーと思う。

と同時に宗教が原因で戦争が起こるのも思い込みによるところとそれを政治利用するところに原因があるんだろうなとふわと思った。

私は信心深くないので、妻のことをふわっと聞けるが私も違う神様を支持していたりすると割とがっつり喧嘩になったりするのではないかと思った。

まぁ、多様性を受け入れるとはこういうことかなーと思ったりもしたよっていう話しでした。

ちゃんちゃn

今日も感謝。

 

20年ぶりの試合参戦。 ベトナムにて。

20年ぶり、高校生の時ぶり。

ベトナムホーチミンのオープントーナメントに出場した。

この機会をくれたプノンペン剣道クラブと送り出してくれた、家族のお店のメンバーに感謝。

まず、成績。

個人戦

1回戦=1本負け。

団体戦

1回戦=シード

2回戦=チームは勝ち。 私は2本負け。

3回戦=チームは負け。 私は2本勝ち。

実は私は高校の時は公式戦で1本も取れずに終わったのだ。

だから、1勝できたことは私にとっては大きな1歩である。

他の人にはわかるまい(笑)

しかし、スタイルは韓国剣道スタイルで戸惑うことも多いが、みんな若い人ばかりで動きがアグレッシブで速い!

圧倒されました。

自分としては高校のときはよくわかってなかった攻め。

稽古で試し試しやるのと、実際の試合でやること。

また映像で見て気づいたこと。

一番は練習の時に自然とできるレベルまで練習していないことは緊張してかたくなる実践では使えない。

映像を見返すと、思ってたより、動けている。(それでも普段よりはもちろん動けていない。)

これは何を意味するかというと、ようは練度が足りないのと、普段の稽古から自信をもってできてることが少ないということ。

だから試合になると単調になる。

引き出しが未完成のものが多いので実践で使えない。

これだけである。

逆に対戦相手の皆様はよく練習されていた。

返し胴なんかは日頃からよく練習されているのだろうと思う。

自然に技が出ていた。

試合中は相手を見て考えて、作戦を立案して、実行するを秒単位で実行していく。

逆にこの時に使える作戦が十分にあるかというのはかなり重要なポイントである。

一朝一夕ではできない。

だから素直にベトナムの剣士を称えたいし、レベルの差はあれ、しっかり稽古されているのは見てわかる。

高校の時には気づけなかった視点である。

これから一つ一つ、積み上げていきたい。

稽古での1本1本を大切にしていきたいと思う。

今日も感謝。

同好会の会費の使い道

プノンペンの剣道クラブに入ってもう5年はたつ。

しかし、週1回、来れるようになったのはここ1年くらい。

だからいまだにわかんないことも多かったりする。

今回は会費の使い道で悩むところがあった。

私たちはプノンペンの日本人、または剣道をする外国人の人口自体が少ないので必然的にクラブの規模も小さい。

この日本人と限定した理由は世界の剣道人口のほとんどは日本人になるので、必然的に日本人が少ないとその地域の剣道人口も減るということである。

だからタイトルで同好会とした。

だいたい、稽古にいつも来るのは5人前後やし。

最近はA先生はじめ、みんなの活動のおかげで習いに来てくれてる人も増えた。

うれしいことである。

しかし、同好会というスタンスは変わらない。

だから会費の使い道はあいまいなところがあった。

年上の先輩がたが良識の元に会費の使い道を決めてくれていたので、そこがなんとかなっていたが、今後もそれでいいとは思えない。

ある程度、ルールが必要になる。

そこで、昨日、会議をさせていただいた。

理解の方向性に違いがあるので、話しは行ったり来たりした。

今回の議題は隣国での大会参加をクラブからサポートするのか否かである。

プノンペンでは剣道人口が少ないので審査も大会もできない。

仲間内の練習試合止まりである。

これはあくまで練習の域を出ない。

しかし、タイやベトナムは剣道人口も多く、盛んでレベルも高い。

タイでは昇段審査もある。

なので、私も含め、カンボジア人のメンバーに大会を経験してほしいという思いは強い。

しかし、お金に余裕のある人ばかりではない。

隣国とは言え、日本円でも合計で3万円くらいはかかる。

ぶっちゃけ、私からしても大金である。

私も私の剣道友達のH君も家庭があるので、無駄遣いは許されていない。

なおかつ、Hくんはカンボジアでもお金持ちの出ではない。

インターナショナルスクールで働いている、教員である。

3万円(2万円くらいにしぼることは可能だが)などかなり大金で奥様からの同意が得られるのかどうかというところがポイントになる。

もっと家庭のために使ってほしいと思うのが普通である。

お金が理由でがんばってる人が試合に出場を断念するというのはどうなのかと思う反面、フェアではないというのも一理ある。

これはクラブのみんなから集めた会費であるということだ。

会費であるならば、みなにフェアに何かしらの恩恵があるべきだと思う。

実際、うちの会費は$15/月(日本円で2000円くらい)

特別に高くはない。

ぶっちゃけ、これで道場の使用料を払い、数年に一回ある修理費のために貯金もしておく必要がある。

また数年に1回あるアセアントーナメント出場の資金の足しという意味でも貯金しておく必要がある。

そして、プノンペンは出入りが激しいので会員の数も前後する。

だいたいならして10人くらいのメンバーからコンスタントに会費をいただいている。

ということで、ということでクラブの財布はけっして裕福ではない。

なので、サポートできる金額も限られてくるし、その少ない中でサポートすることになる。

ない袖は振れないである。

また、今は大会に参加希望者が少ないからいいが、多くなった時、どうするのか? この人にはしたけど、あの人にはしないのか?

というところになる。

そこで

今回の会議のあと、考えを整理したが、PPKC基金を作ってしまえばどうかと思った。

少しずつ、みんなで積み立てる。

必要な人にサポートできるように。

しかし、あくまでこれも寄付なので、無限にはない。

多分、人数が多くなったら2人か3人に選抜することになる。

自分で参加の意思表示をしているという前提で、

1,稽古にちゃんと来てる。まじめに練習している。

2,レベルは十分である。

3,部内の先輩メンバーからの承認が得られること。

また、人数が多い場合は上記の条件を満たしている。

それでも多い場合は部内で選抜試合をしてもらい、サポートを得る権利を勝ち取ってもらう。

ということならば公平ではなかろうかと思う。

今度、提案してみたいなと。

今日も感謝。