カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

カンボジアにおいての呪いや宗教の考え。妻と私。外国人との価値観のずれ。

当たり前だけど、私はカンボジアでは外国人なので、非常識なのは私のほうである。

それが前提条件にある。

カンボジアでは敬虔な仏教徒の方。信心深い方が多い。

私の妻も妻の家族もそうだ。

それにより、夫婦間で摩擦が生じるのは私たちだけではないはずだ。

まぁ、承知の上で結婚しているので、摩擦といっても死活問題ではない。

しかし、ナーバスになることももちろんあるし、心配になることもある。

タイトルにも書いたが呪いのこと。

妻の友人(割と裕福な人)が過去に離婚した元夫や嫉妬されてる方からの呪いで体調不良を起こしていて悩んでいるという。

私たちからすれば、根本的理由は普段の生活習慣や食習慣。考え方に起因するストレス(偏見持ちの人をカンボジアではよく見るので)だろうなと思う。

特に勉強不足、知識不足による習慣のために病気になるケースは多い。

糖質やお酒。 外食過多など。

運動習慣などもだ。

私も実際、でたらめな食習慣や生活習慣で体調崩したり、精神面がかなり不安定だった。

現在は改善した(まだ道の途中ではあるが)から言える部分がある。

しかし、仏教含め、宗教に信心深い人ほど、その呪いなどの話しをうのみにする傾向があるように感じている。

だから視野が狭くなり、本質を見落としている気がする。

またそれにより、さらに心にストレスを抱えるので、その不安や恐怖の思い込みはさらに、脳に悪影響を及ぼし、結果、実際の健康にも影響を及ぼすのではないかと推察している。

このへんが妄信すること、思考停止になることの怖さではないかと思う。

また裕福な人はお金で解決してこれた人の場合はそこの努力を怠るパターンが多いのでないかと推測している。

ちなみに関係ないが、うちの妻もお坊さん一人当たり、1000リエル(日本円で30円くらい)のお布施を毎日、10名くらいにはしている。

月計算では結構な額になることをご理解いただきたい。

なにせ、カンボジアではお坊さんが托鉢で歩き回ってる人がめちゃめちゃ多い。

自分の家でもないのに買い出し中でもカフェでまったりしているときでもお坊さんを呼び止めてお布施をしている。

止はしないが、半分にしてほしいなといつも思う。

以前にその話しをしたが、聞いてくれていないので、なにか彼女の中で失礼とかそういう観点があるのだろう。

呪いの話しも今朝も真剣に話してくれた。

日本にはないけど、カンボジアにはあるのよと。

確かに呪い自体は実在するのだろうと思う。

長年言い伝えられているものには何かしらの意味があるはずだ。

というのは私の認識である。

しかし、それを理由に自分の身体、習慣を見落としてるとしたら危ないなーと思う。

と同時に宗教が原因で戦争が起こるのも思い込みによるところとそれを政治利用するところに原因があるんだろうなとふわと思った。

私は信心深くないので、妻のことをふわっと聞けるが私も違う神様を支持していたりすると割とがっつり喧嘩になったりするのではないかと思った。

まぁ、多様性を受け入れるとはこういうことかなーと思ったりもしたよっていう話しでした。

ちゃんちゃn

今日も感謝。