今年っていうか今週末はカンボジアの総選挙。
とはいえ、政権与党が圧倒的なので、今回は特になにごともなく政権与党がそのまま継続されると思われる。
選挙の時に国の状況や政権の取り組み、これを機に歴史や地政学などを学ぶことは重要ではないかと思う。
私の考えではどこの国が悪いとか誰が悪いということではなく、どういう思想や歴史、背景があるのか。 なぜ、そういう政策を取っているのか? 民族的にはどうなのか? 宗教は?
国の問題は複雑である。
野党が批判ばかりでなにも代替え案を出さないというときにももしかしたら、すてきな議論をしていても、与党側の都合で表に出てこないということもあるかもしれない。
逆にメディアとの関係で与党側ばかり悪く言う可能性もあると思う。
民主主義を主張する国々と社会主義(共産主義のことではない)の国々でももちろん違うし、資本主義の恩恵を受けている人、資本主義ゆえに苦しい人もいる。
必ず物事には陰と陽がある。
ただ、力の強い国の意見が通りやすいのは国単位でも小さい組織の話でも同じだと思う。
怖いのは何かを決めつけて見てもいないこと、噂で聞いた、ネットで聞いたことをうのみにして思考停止になることではないかと思う。
個人的なことをいえば、庶民が知りえる情報なんてものはたかが知れているし、国家機密や国の大事なところや本当のところは一般庶民は知ることができないだろう。
一般庶民が知っているのは知っても問題ないものか、知ってもらったほうが都合のいいなにかと考えるほうが妥当だろう。
カンボジアの場合もサムレンシーさんという人がいた。
貧困層(カンボジア国民の大多数)に特に指示された人で与党を脅かす勢力だった。
だが、彼の政策がどういったものかは知らないという。
貧困層を助けてくれる。
国民は彼が好きなんだ。
という感情論しか出てこない。
こういう状況はマインドコントロールに近いように外から見てると感じる。
実際にサムレンシーさんが素晴らしい政策をもっていても難しいことを言うより、感情論の方が票を得やすいと心得ているなら、私が同じ立場でもそうすると思う。
実行するには政権与党にならなくてはならないからだ。
ただ、本当に感情論しかないという場合もある。
また現政権は内戦からここまで復興させたという実績がある。
外交面でもややこしくて綱渡りな国という印象であるが、のらりくらりかわしながら、国として、生き延びるために舵取りをしているように見える。
しかし、格差が広がるのも事実だが、それは資本主義という世界全体の体制の問題ではないかと思う。
とはいえ、どこまで行っても明確な答えなんかはなくて、歴史を振り返ったときに、初めて、これが実はよかったのかな? あのときこうしておけばどうだったのかな?ということを検証できるのだと思う。
とにもかくにも、これだけ、一般庶民に自由と権利が与えられているのは人類の長い歴史の中でもごく最近の話しである。
わかったような顔してしゃべってる人の方が怪しいのではないか。
ただ、一つ、私が思うことは今日も食事にありつけること、安全に休める場所があること、仕事があること、これらのなんとありがたいことか。
私もカンボジアという小さな国に移住し、家族を持ち、店を持ち、日本人と比べると裕福な暮らしはしていないが、カンボジア人である妻の家族から見たら十分に裕福な生活である。
もしかしたら、人類はぜいたくを覚えてしまったためにしんどいのかもしれない。
今日も感謝。