カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

今日の稽古からの学び。7月27日木曜日2023年

今日は木曜日の夜の稽古。

剣道の。

先週参加させていただいたときより、前に出れたと思う。

稽古の様子を動画に収めてくれていたので、見ると、足幅が広くなっていた。

要注意である。

しかし、それよりも、自己肯定感0の私はどうにも自分が思ってる以上に自己にかける言葉が自己を否定する傾向がある。

それは聞いてる方からすると不快だし、場合によっては相手を傷つけることもあるかもしれない。

私は感覚が人と比べてずれている+一言多いタイプなので、できるだけしゃべらないように気を付けているのだが、自分の思うところと相手の感じるところがずれていれば伝わり方も異なる。

そこを無理やり、理解してもらおうとするのはかなり遠回りなので、気づいた時点で、その傾向のある言葉を使わないようにするのが正解だと思う。

いらんこと言わない。

素直に、とりあえず、言われたことを実行してみる。

そして考えて、改善する。

これでいいのではないか。

違うと思えば修正する。

提案するという具合でいいのではないかと思う。

思うところをぽろっと口に出してしまうところがあるので、いらんことは言わないの精神でいきたい。

できもしないので気の利いた返事をしようとする必要はない。

素直に愚直に行こうではないか。

私は不器用である。

正直、若いころにばりばり部活でやっていた人たちと比べれば、自分の辿ってきた道は稽古の質も量も確実に劣る。

だから高校のときは公式戦で1本も取れなかったのである。

自分より明らかにスピードも基本の動きのレベルも劣る相手にも負けてきた。

そして、明らかに私よりYさんもA先生もNさんもI さんもYさんも学生時代にかなりやってこられたのは見ればわかる。

基礎の練度が違う。

へたくそだというのはそういう意味だが、どうもそのようには取られていないと思う。

摺り上げ技も満足にできなければ、返し技も満足にできないのだ。

自分の間合いを考えて稽古できているのはここ最近の話しである。

攻めとはがんがん打ち込んでいくことと勘違いしていたし(笑)

まっすぐに打つとかは子どもの時の道場の先生の指導のおかげである。

なにはともあれ、初心に戻って、一つ一つの動きや、間合い、重心、ちょっとした動きを考えながら毎回の稽古に課題を持って臨めているのが、大人になってからの稽古の楽しいところである。

初心者の人、大人になってから始めた人、熟練者の人、高段者の人、様々な人と稽古ができ、それぞれの人との稽古でやり方が違うので、学びもそれぞれである。

いろんな意味で未熟さに気づく毎日である。

今日も学びの多い稽古だった。

指導してくださる先生がた、稽古を一緒にしてくださるクラブのみんなには感謝しかない。

私は運がいい。

今日も感謝。