カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

レベル1から始めた海外移住と経営④ お店の内装工事。 オープンまで

Mくんのおかげで工事業者との話もまとまり、契約もできた。

11月後半から内装工事もはじまる。

予定は1月なかごろ。

実はこのとき、いろいろ手間取りすぎということでA社長からはまぁまぁのプレッシャーをいただいていた。

まぁ、自分がA社長の立場やとそらそうやろねと思う。

がそのときは右も左もわかんない私はかなり焦っていた。

そして、カンボジアでの施工はだいたい、予定より1-2か月遅延するのが通例だった。

やばい。

しかし、ここでMくんがめちゃくちゃ立ち回ってくれた。

ていうかまず、私に教えてくれた。

余計な事はしないこと

職人さんを信用すること

僕があーだこーだいうと親方さんの立場がなくなるから余計に工事進まなくなるよと。

話は親方さんを通すこと。

こんな感じやったかな。

Mくん自身はフリーの設計士なので、彼が親方さんとの交渉役を買ってでてくれた。

海外経験のない私のためにたくさんのアドバイスもくれた。

ていうか英語の勉強もかねて、ジム(コーチ付きの)に行って友人作りを行っていたので、その友人を招いて試食会をしたりもした。

ほんとうにMくんさまさまである。

そして、すったもんだありながらなんと予定より10日オーバーでなんとか内装を完了させる。

10日オーバーで完了するとか当時では異例であった。

完全にMくんのおかげである。

私は本当に運がよかった。

1月中にオープンできそうだ。

一応、オープンパーティの準備をした。

私の誕生日が近かったこともあり、パーティの日を私の誕生日に合わせた。

これで忘れっぽい私でも忘れないだろうと(笑)

いろいろお店を見て回ったこともあり、ミュージシャンのつても作り、通ってた英会話教室の先生が司会を買って出てくれたのでとりあえず形になった。

なんやかんやで1月29日、オープンパーティ(無料招待)。

そのあと、一旦、お店を閉めて私は諸事情があり、日本に一時帰国しなければならず、数日、一時帰国した。

戻ってからが、本当の試練だった。

自分の未熟さを思い知らされるのはここからだった。

続く。