カンボジアで小さな食堂を家族で経営するアラフォー社長のリバ剣日記

カンボジアで小さな食堂をカンボジア人の妻と3歳の息子に支えられて経営しています。

カンボジアにおける年末年始。

カンボジア(ていうか東南アジア)における年末年始はちょっと特殊である。

日本や欧米諸国は年末年始がとても大事。

だから外国人オーナーはここで休暇を取る。

カンボジア人も便乗して休暇を取ったりする。

しかし、それは富裕層と勤め先がお休みになるところくらいだ。

確かにカンボジアでも大事ではあるが、1年間でみると優先順位はそこそこだろう。

カンボジアでのお正月の優先順位は1位はクメール正月で2位は中華正月だ。

一般的な年末年始はインターナショナルニューイヤーという祝日と位置づけされる。

外国資本がかなり多い国なのでお休みになる企業やお店も多いがローカル目線でいくとちょっとお祭り気分のある祝日くらいの感覚である。

ローカルのマーケットが閉まる(ところもある)わけでもない。

うちも現場の子は普通に働いてくれる。

しかし、これがクメール正月であればこうはいかない。

街全体が休みになる。

祝日手当も通常より、多く要求される(法律ではそんな規定はないが)。

この時に休めないという理由での離職もありうる。

だってみんな実家に帰って仏教行事があるから。

中華正月に関してはカンボジアは華僑というか中華系の方が多数派であるので、祝日ではないが、かなり重要度が高い。

クメール民族のかたも便乗しまくりである。

ということでうちの場合は毎年、元旦のランチは営業せず、みんなにはゆっくり出社してもらう。いろいろ仕込みがあるので、そのへんが間に合えばいい。 夜の営業に間に合えばいいよというスタンスだ。

逆にクメール正月はがっちり4日間、店休日をいただく。

中華正月も少し休む。(水祭り休暇くらい)

自分も外国人なので、日本人の友人にはやるの?!と驚かれるが、ここはカンボジアやから、元旦もなにもちょっと特別な祝日くらいの感覚やしなーという感じ。

そもそも日本のときも正月に休むとかほとんどない働き方やったし(笑)

ということで、元旦のランチだけお休みいただきます。

今日も感謝。

 

 

息子に叱られる。

息子に叱られました。

私は人の多いところが苦手である。

イベントなんかに参加するのは実は精神的に負担だったりする。

ぼっちが大好きなのである。

今日の午前中は息子の通ってる音楽教室のクリスマス会。

保護者として一緒に夫婦で参加。

日本人ばかりなので、カンボジア人の妻にも地味にしんどいと思う。

多分、お互いに負荷がかかっていた。

帰宅後、しょうもないことで妻と口論になる。

私も負の感情がたかまり、ものにあたってしまった。

ここにいるとよくないと思い、パパ友のカフェに逃げた。

帰ってきて、しばらくすると息子が私のもとにきて、ものにあたった私の行動に対して、「どうしてあーいうことをしたの?」とジェスチャーを交えて聞いてくる。

そして「だめ!」とお叱りをいただいた。

なんていうか、4歳の息子の成長と自分の精神的な未熟さを痛感する。

子は親の鏡。

そして、それは新たに自分を知り、学び、成長する唯一無二の機会と思う。

ありがたいことである。

今日も感謝。

 

ネスプレッソのカプセルゴミ削減に向けて。 リユースカプセルへの取り組み。

先週はよー分からん感染症をもらってぶっ倒れてました。

ていうかブログするのが久しぶりになってしまった。

ちょっと書かないとブログ開けるのが億劫になるということがわかった。

心の整理のためにまたブログゆるくやっていく。

1年前からもんもん考えながら、やっとリユースカプセルを買った。

こういうのもお店の経営が順調だからできる。

ほんとにありがたい。

うちはコーヒーはネスプレッソを使っている。

珈琲豆の参加の心配がないからだ。

しかし、これ2つ問題がある。

1つはゴミ。

カプセルはプラスティックで使い捨て。

毎回、ごみが出る。

2つ目はコストだ。

普通にコーヒー豆買ってエスプレッソマシン買ってやるより2倍以上高い。

しかし、カフェじゃないし、お客さんの注文、8割はエスプレッソやからまーえーかと思ってた。

3つ目はパパ友のとこの豆使いたいなーおいしいエスプレッソ出したいなーという想い。

お世話になってるホテルのオーナーさんがネスプレッソのリユースカプセルを使ってた。

豆はそのパパ友のところ。

おいしかった。

それがきっかけである。

デメリットはちょっとめんどいくらいか。

今回はSealpodというメーカーのものにした。

ちゃんとしてるメーカーだからか値段は高い。

しかし、ここの利点は酸化防止の蓋があり、密閉できる。

仕込んでおいたものが3日くらいでないことも想定できる。

そうなれば、ちょっとまずい。

だから品質保持が課題だった。

現在、テスト用に取り寄せたもので豆の細かさを変えながら実験中。

今朝、実験した分が個人的には納得がいく感じだった。

もう、2-3回テストしようと思う。

年内には追加でリユースカプセルを注文して、1月中にはスタートできればなーと思う。

あとは現場に落とし込み。

まぁ、なんとかなるやろ^^

今日も感謝。

私の経営方針(の一部)

私の経営方針の一つはいらんことはしないし、言わないだ。

ようはいらんアレンジを加えないということだ。

お客さんからも現場で働いてくれるスタッフから見ても。

いらんことして、効率が悪くなったり、提供スピードが遅くなるとか、ロスが多くなるとか、管理できないとか、日によってクオリティに差が出るとか(もちろん、どうやっても多少の差は出ますよ。)そういうリスクは冒さないという意味だ。

私はいらんことをやりたいタイプだ。

そうして失敗してきた。

行動する前に一考する。

「それ、ほんまにいるか?」と。

7‐8割、いらない。

だいたい自己満足。

最優先事項はお客さんのお困りごとの解消。

私の自己満足の思いつきプランはちょっと横におく。

これはお客さんからの意見もこれに近かったりする。

だからお客さんから聞くという行為はしない。

お客さんを観察する。

スタッフを観察する。

注文の内容を観察する。

クレームや意見を考察する。

そうしていると必要なことが見えてくる。

その中で必要だけど、できるのかできないのか? 

そのできるというのはお店のプライスレンジの範囲内なのか、とか、余計な仕入れが増えないのかとか、オペレーションに支障は出ないのか、などなど、複数の要素を考えたうえでできるかどうかという意味。

また、うちでやる必要があるのかないのかという視点も大事。

こういう視点で考えて、貸し切り営業は断っている。

貸し切り営業ってだいたい立食になったり、パーティだから食事自体はどっちでもいいんですよね。

場所が大事。

しかし、うちのお客さんは日々の食事に来てくれている。

貸し切り営業で儲けたいから受けて、常連さんが入れなくするのは違うと考える。

ていうか貸し切り営業なら近所にそれに向いてるお店がある。

うちである必要はないのだ。

いらんことしない。

けっこう大事にしている私の経営方針の一つだ。

今日も感謝。

 

心の病気。

私の妻は私の不安定な精神のせいで、PTSDというかパニック障害的な症状が見られる。

だが、もともとは私の方が躁うつ病であり、自律神経失調症であり、不眠症であった。

心の状態はかなり不安定だった。

自分で学び、実践しながら、少しずつ改善した。

しかし、その過程でも結婚あとも考え方の違いなどで私が怒ってしまうこともたびたびあった。

手は出さないが、元来、死にたがりの私は自殺願望を妻につきつけることもあった。

そんな私の影響を受けて、妻は大勢の場所がしんどくなったりしている。

細かくは書かないが私から見て軽度のPTSDパニック障害であると思われる。

そして、私は昔から人の多いところにいくと極度に疲れる傾向がある。

私は多分、対人恐怖症の気がある。

今日、声かけられていたので、ケンクリニックのイベントに顔を出した。

そこに日本人のお客さんがかなりいた。

微妙に知ってる人も多い。

午前中に稽古に行っていたのも影響しているかもしれない。

暑いのは暑かったが、汗が止まらない。

動悸がする。

めまいほどではないが、くらくらする。

立ってるのがつらい。

などなど。

しかし、子どもがはしゃぐので、他の人の迷惑にならないように見守る必要がある。

1時間ほど、滞在し、子どもももう帰りたいという。

3時からよさこいのイベントで太鼓を使い始めた。

それに怖がる息子。

耳をふさいで帰りたいという。

これも私のせいだろう。

大きな音に怖がるようになっている。

そこで私たちは帰宅した。

私は異常に疲れたのか帰宅後、1時間ほど、横にならせてもらった。

特におちはない。

 

 

子どもは親の鏡。子育ては自分(親)の再教育の場ではないかと思う今日このごろ。

息子(4歳児)の成長具合を見てると本当に鏡のようである。

自分たちがどのように子どもと関わってきたかで成長度合いも変わるんだなと。

特に、カンボジアで妻がカンボジア人である。

クメール語の理解度と日本語の理解度に差がある。

日本語が話したいけど、うまく言葉にできていないのが伝わる。

同じ年や下の年齢の子どもより日本語のレベルが低い。

これは私の責任である。

まぁ、息子の成長度合いはさておき、子どもの育児について学んでいると、結局は人の根幹のことである。

大人にも通じるし、自分も改めたいと思うことばかりだ。

子どもの育児にちゃんと関わることによって、人間とは次のステップに進むのだと思う。

大人だけの世界では気づきにくい、心のしんどい部分に気づく、何事にも代え難い機会を子どもがくれる。

親の私がしていない、できないのに、どうして息子に伝えることができようかと。

きちんと我が子と向き合う。

家族と向き合う。

弱みなんかさらけ出せばいいと思う。

家族の中では正直に誠実にありたいと願う。

私の息子なので、期待はしない。

ただ、私と妻が彼のここにいていいいと思える場所でありたいと願う。

そのためにも仕事もがんばって、息子の世話にならんでいいように父はがんばろうと思う。

今日も感謝。

心が落ち着くのに時間が必要。

なんか負の感情が大きくなる。

爆発し、怒り狂ってしまう。

火が大きくなったらなかなか消火できない。

消火したと思っても、くすぶってる間に新たな火種が入るとまた火事になる。

自分の怒りの感情の理解はこういう感じだ。

原因は不安や恐れ、自分の負い目、などなど、おおむね自分の中にある。

それと外的な要因も重なり、火種が大きくなる。

今日くらいでだいぶと落ち着いてきた。

そこで息子が事件を起こす。

息子がパパ友のコーヒー屋さんで焙煎機を勝手にいらったのだ。

彼はすごく細かく、焙煎機を調整しているので、勝手にいらわれると調整をやり直さな変えればいけない。

彼のような丁寧に焙煎して、本当においしいコーヒーを出しているお店にとって、それは一大事だ。

息子にも謝らさせ、私たち夫婦ももちろん謝る。

彼は当然、怒っていた。

しかし、彼の心も理解できる。

私も監督不行き届きで申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

彼も複雑な心境ではなかろうかと思う。

私もそうだが、真剣に取り組んでいるものを壊されると気持ちが狂う。

それほど、調整に苦労していたのだろう。

これで顔を出さなければ、お互いに余計にしんどいと思うので、あえて、面の皮の厚いわたしから出向き、厚かましくも謝り、コーヒーをまた飲みに行きたいと思う。

子どもを責めるわけには行かない。

子どもには私から改めて、話しをした。

まだことの深刻さはわかっていないだろうが、少しずつ、学んでほしいと思う。

今日も感謝。